こんな大変な時期ですが
宜しければおつきあい下さいませ
前回のつづきになります
京都駅に戻ってまいりました
まだまだ明るい❗️
京都駅から近いのでいつでも行けそうだったのが
東本願寺 大谷派
と西本願寺 浄土真宗 本願寺派
こちらの教えと同じで両親は浄土真宗です
11代目まで一緒にお勤めをしていたので宗教的思想にほとんど違いはないそうです。
宗祖は共に親鸞聖人で、
8代目蓮如(れんにょ)上人が山科本願寺を構え
10代目証如(しょうにょ)上人の時に攻撃から焼け落ち
大阪に移り石山本願寺を再興しました。
別れることになった経緯をざっと紐解くと
本願寺は
信長・秀吉・家康など名だたる天下人が深く
縁しております❗️
織田信長が
勢力のある浄土真宗石山本願寺を嫌い
退去を命じて11年に及ぶ戦の後、和睦を求めました。
この時
当時のトップの11代目顕如(けんにょ)上人と三男の准如(じゅんにょ)は和睦を主張し
戦いを主張したのが長男教如(きょうにょ)で、本願寺内が2派に分かれてしまいました。
結局は顕如上人が和睦を決め、石山本願寺を明け渡しました。
それでも信長は浄土真宗とのくすぶりを消滅させようと
明智光秀に本願寺の攻撃を命じましたが、
光秀は「敵は本願寺にあらず、本能寺にあり」と、信長を討ってしまいました。
有名な本能寺の変です。
そして
豊臣秀吉の時代に3男准如(じゅんにょ)が12代目となり
後押しを受けて現在の西本願寺の場所を与えられました
その後
徳川家康の時代になると
浄土真宗・本願寺を弱体化させるために
もとから不満があり関ヶ原でも家康支援に回った
長男教如(きょうにょ)に東本願寺を寄進し12代目となりました。
まずは
国宝や重要文化財があり
世界遺産である西本願寺(正式名称龍谷山本願寺)に参ります
堀川通りを目指してください
20分強位さまよいましたが何とか到着
御影堂門をくぐると迎えてくれるのが
京都の天然記念物・樹齢約400年の銀杏の木です
根を天に向けている様から「逆さ銀杏」と呼ばれているそうな
今は葉が落ちていてわかりやすい納得
コロナウィルスの影響で海外からの観光客がほとんどいませんでした
パンフレットによると先にお参りした方が良いそうです
国宝 阿弥陀堂
1760年再建
あら内部は修復中でした
800名以上が一度に参拝できるそうです
御影堂と繋がる廊下を通って移動します
鐘のある廊下が並んでありました
渡り廊下から
寒いけど空が綺麗
左から阿弥陀堂門(重要文化財)・手水舎(重要文化財)
そして逆銀杏の向こうに御影堂門(重要文化財)と京都タワー
国宝 御影堂(ごえいどう)
1636年再建
中央に親鸞聖人の木像が安置されています
こちらは1200名以上が一度に参拝できるそうです
阿弥陀堂の修復中は
ご本尊阿弥陀如来像・7高僧と聖徳太子の御影も安置されています
外に出て見上げると木目がいい感じ
しばし説明は写真でお願いいたします。
楽しちゃってます
縁の下の力持ち可愛い
経蔵 (重要文化財)
鐘楼(重要文化財)
国宝 飛雲閣は修復中
築地塀(重要文化財)
5本の定規筋が引かれています
国宝唐門も修復中
その正面にある書院と大玄関
重要文化財ではないけれど風情があります
御影堂門をでたあたり
珍しい信号の向こうまで
総門(重要文化財)
1898年の移築した後
1911年に2度目、
1959年にこちらに3度目の移転となったそうです
伝道院はすぐにあります
写真2枚をつないでみました
赤レンガは定番
西洋とイスラムが混ざったような超絶目を引く外観です
また可愛いのがいましたよ
こんなの大好き
修繕中もあり
思ったより早く終了したので
江戸幕府(徳川家)最後の将軍
徳川慶喜か1863年に約3ヶ月宿舎とした
東本願寺も行っちゃおうかなと向かいました
烏丸通りを目指します
阿弥陀堂門
(重要文化財)
今回気が付きましたが
私
念仏は 東本願寺のいいまわしで南無阿弥陀を唱え
焼香は 西本願寺流で1回つまむだけ
両方が混ざっており
いいあんばいだと思いませんか
身近な東西問題
関西の皆様
関東のうどんのだしをあまり責めないで下さい