トイレットペーパーが24ロール届いた
たった3坪のルームサロン
美容室ブランカのまりです😉
現在売っているようですが
見かけた先から
持ち歩けるものでもなく
帰るときにはない程度。
送料込で2000円だから
前回のテイッシュよりましですね👍️
さて前回のゴッホ展の続きです🍀
ゴーギャン氏とのけんかの末
自分の耳を切り落とす騒ぎを起こした結果、
南仏アルルの住民の署名により
ゴッホ氏はアルルを立ち去ります。
〇1889年南仏サンレミの療養所に移ります。
麦やオリーブそして糸杉を主に描き
混沌とする心を表すように
「星月夜」にみられる渦やうねりを描くようになりました。
その中でも最もひきつけられたのが糸杉であり
↓手紙にも興奮したように書いています。
退院直前に描き上げた
「薔薇」
ー最後の時ー
退院した後
〇1890年5月に精神科ポール・ガジェを頼り
パリ郊外 オーヴェールに移住し
70日後にピストルで自殺したとされていますが
その間に
80点もの作品を描き上げています
「ポピー畑」
「ガシェ博士の肖像」
が展示されておりました
ネットより
ゴッホ氏が自殺する6日前の弟テオ氏への手紙にはこう書かれていました
「僕は絵に命をかけた。
そのために正気でなくなっている。
それもいいだろう。」
描くことに夢中で人を顧みることができず、
また
人との関わりに失敗し苦しみ続けたから
描くことに没頭し続けるエネルギーとなったり、
と
交錯しながら天才になっていたのではないだろうか。
↓35才の頃の私
彼が短い間
弟さんとシェアしたアパルトマンは↓
最寄りはブランシュ(Blanche)駅。
上がればモンマルトルの丘があり
下れば歓楽街がありました。
入場はできません外からのみ
2月の寒さと
質素さに苦悩を感じ
なんとも重い感覚になりました。
絵画も売れ始めていったから
もう少し生きていたら
幸せな感覚を味わえたはずだった。
それに
彼を支え続けた弟テオ氏に送った手紙は650通。
知人もいたし
一緒に暮らした女もいた
親族も助けてくれたし
決して孤独ではなかった。
兵庫県立美術館は
3月15日まで臨時休館をしておりますが