こんにちは
忘れたことさえ 忘れていた 忘れ物が届けられた
川崎・百合ヶ丘美容室ブランカのまりです

今回の旅の最中のこと
別のツアー客さんがバスの運転手さんに届けてくれていました
で
購入したことを思い出しました💧
届けてくださった方々ご親切をありがとうございました
珍事はさておいてかなり良い旅でした
今回の早くから予約して楽しみにしていた日帰りバスツアー
集合は池袋東口
駅そば店はいくつも開いており
早く着きすぎてドンキホーテで時間をつぶしたのだけど
7時にすでに開いているって…流石眠らない街です

グリーン大通りというだけあり銀杏の黄金色が目を引きます

常緑はくすのき

東京国際大学


トンネルは福島と岩手に二ヶ所だけの東北道
利根川を渡ると群馬県


バスツアーは上流の渡良瀬川へ向かい
下流は古河市で利根川と合流します


栃木県に入り岩船ジャンクションでトンネルが多い北関東自動に入ります


佐野市足利市を抜け再びわたらせ川を渡ると右前方に浅間山
奥に雪をのせた谷川岳


太田市で県道69号線に入ります
利根川のある太田市世良田町・平塚河岸が起点となりこの先は足尾銅山まで
銅 あかがね 街道とも呼ばれています
~江戸時代の銅街道でしたが元禄年間以降積み出しが下流の前島河岸に変更されてからは
各地からの薪・炭・木材・穀類・醤油・酒・生糸などを運び
江戸から帰船では塩・糠・藍玉・海産物・茶・綿などを運んで来たそうです~
前に赤城山を見ながら進みます

みどり市大間々は古い蔵が残っています


第一大間々踏切は以前警報音に加えアナウンスが入ったそう

赤城駅 上毛電気鉄道 / 東武鉄道

この辺りから県道70号ですがいずれも銅街道と呼ばれてます
高津戸渓につながる道も紅葉



福岡大橋

国道122号に入りますが引き続き銅街道です

赤城山がかなり近いです
利根川水系利根川支流の一級河川の渡良瀬川は
赤城山東南斜面を水源とする深沢川・鹿角川・高楢川・寒戸川・小黒川からも合流し
多くの支流があります

渡良瀬渓谷鐡道とほぼ並走です




くろほね大橋 水沼駅

赤い橋しみずの里 ミラーにはとバスin

草木ダムが見えてきました









見頃なもみじが紅葉しております

富弘美術館が湖畔にあります

入館します
ここみどり市出身で
口でペンをくわえ水彩の絵と詩を1枚に込めた作品をつくる星野富弘氏

1970群馬大学卒業後に富弘氏は高崎市立中学に体育教師として赴任し
わずか2カ月後のクラブ活動で空中回転の模範演技の時に頭から転落し
第4頸椎骨折・頸髄を損傷し首から下の感覚がなく動けない状態になってしまいました
約9年間群馬大学病院に入院
72年12月に看護学生の助言で横向きでガーゼを巻いたペンを口にくわえたことが功を奏しました
詩は
大学時代の先輩の牧師さんから事故後に頂いた聖書から
絵は
病室から見える花やお見舞いの方から頂き母が飾ってくれる花が雄大な風景に見え
影響を受けたと記されています
1981年結婚され
2024年4月に逝去されております

撮影不可なので写真はネット内から引用しております
初期の字












山と自然が美しい湖畔を散歩








湖岸近くまで下りることができます👣






木が茂っているので上から眺めた方が綺麗かな

敷地内に直売所があります

草木湖名物 よもぎまんじゅうは素朴で美味しい

バスは神戸ごうど駅に到着
1912年の竣工の本屋と1928年に建造された休憩所は国の登録有形文化財





11時41分発 わたらせ渓谷鐵道トロッコ列車3号に乗車します



間知石割石積みの下り線プラットホームも国の登録有形文化財

1912年の建造のままで擁壁が玉石積みの全長107mの
上り線プラットホームプラットホームも国の登録有形文化財

左が東武鉄道日光線のけごん号を使用したレストラン清流

レストラン清流で作ったヤマト豚弁当を頂きました🥢
5242mの草木トンネル中の車内天井はブルーライトアップ


短い沢入トンネルを抜け草木湖最上流にあたる第一渡良瀬川橋梁を渡ると
渡良瀬川は左に移ります




沢入そうり駅 通過

1927年の建物で待合所とプラットホームは国の登録有形文化財

ここから通過する原向駅あたりまでは特に絶景が楽しめます

白い石はみどり市の特産品の白御影石
坂東太郎岩という名前がついた巨石もあるぐらいこの先の河岸も石や岩が多いです











ショート動画
登録有形文化財である1912年に建設された第二渡良瀬川橋梁を渡ります

写真はネット内より引用

最後の立ち寄り先は足尾銅山の見学です
通洞選鉱所跡が見え始めました
有越鉄索塔すなわち輸送に使われていたロープウェイの支柱が見えます
坑内から採掘された鉱石を選り分けて製錬所へ送る場所です

本山・小滝・通洞の主要坑口にはそれぞれ選鉱所がありましたが
1921年までに通洞選鉱所に集約されました
山肌に坑道の穴?が見えます


円筒状は精鉱シックナーで水と精鉱とに分離します

この後訪れた歴史館に模型がありました


足尾精煉所


1610年備前国出身で足尾郷の農民二人がこの山で露頭している
銅鉱石を発見したことから備前楯となりました

足尾の風景より引用↑

そして
足尾町には多くの山々が連なっていますが
銅を含む鉱石はここ備前鍎山でしか採れないため
山体の内部には高低差1000mの範囲に総延長距離1234kmにも
及ぶ坑道が掘り進められました
坑道模型写真は足尾銅山記念館のHPより


次が足尾駅ですが坑道見学は通洞駅でおります

駅本屋及びプラットホームが国の登録有形文化財に指定



画像はネット内から引用


はとバス旗

足尾銅山 日光市
1610年に備前楯山で初めて銅が発見されて以来江戸幕府直轄になり
1877年古河市兵衛の手により民営化されると
最盛期には国内生産量の40%以上を採掘する日本一の銅山に成長しました
栃木県佐野市出身で衆議院 立憲改進党の田中正造氏は
生涯をかけ鉱毒被害を訴える活動をされ
失敗に終わるも帝国議会開院式明治天皇に足尾鉱毒事件について
直訴を行おうとしたことで有名です


足尾銅山の三つの主要坑道である本山坑746m・通洞坑602m・小滝坑732mは繋がっていますが通洞坑と本山ー小滝坑間は立坑で連結し人や資材の運搬にはエレベーターが使用されていました



↑3枚ハッピーサトさんから引用
本山坑

スロイスさんより引用↑
それでは通洞坑へGo!

お疲れ様です!乗り場にも掘大工人形がおりました



銅資料館横に寛永通宝の大きなレプリカ
足尾で作られた寛永通宝にはすべて裏に足の字が刻まれ足字銭と呼ばれました


トロッコに乗車して坑道内へ入り数分程度の乗車の後
坑道内150メートル奥で降車し
そこから約300メートルを徒歩で見学します

鳥居が坑道の横にあるので過酷な労働前に無事を祈ったのでしょうか?


坑道は総延長1200km以上といわれていますがここから直線は6.5km程度



江戸時代の手掘りから人形がリアルな当時をしのばせてくれます















鉄さび結晶地帯


明治・大正時代











岩肌青色地帯

昭和







休憩も坑道の中

開運洞


ドキッ 人と間違えちゃった

歴史館につながります
足尾銅山でとれた鉱石








先ほどの坑道左横に屋外展示がありました
女性も働きます



鋳銭座






2021年12月の群馬県立前橋女子高校の家庭クラブ新聞によると
足尾銅山のすぐ下の川には普通の川の10倍の
銅量が含まれておりこれは大変危険に思えるかもしれないが
無毒化する物質のほうが多いため安全だそうです
また川には沈殿させる物質が含まれているため
川で増えた銅量は今回訪れた草木ダムにたまるようになっています
現在も草木ダムの底土には1gに対して鉛が20mg含まれており影響が残っています
ちなみに
沈む鉛は1億円相当なのだが取り出す経費が上回るので行われていないそうです
現代も資源やエネルギー問題は形を変え山積みですから・・・チ👆💧
出口すぐの通洞鉱山神社のユニークな狛犬に癒されました👆








ふと右に目をやると割れた山頂に鉄塔?
簀子橋堆積場のあたりかもしれない
※選鉱・製錬工程で発生する鉱毒を貯めておく所



崩れたら怖いです
この先の足尾や間藤を歩いてみたいです👣
が
ツキノワグマの生息地でした💦
強く足尾探検ツアー求む!
さて帰ります🚌
トロッコに乗り場で見上げた通洞大橋で国道122号に乗ります


日光自動車道から宇都宮インターへ

和風な羽生SAで休憩



帰路のSAにあれば食べる焼きそばは海鮮入りの和風味

明るい時間に通過は初めて夕景もなじみます
荒川の向こうに富士山が見えます🗻

五色桜大橋 ただいま~

2025年のブログの最後となりました
来年は60年に一度巡ってくる
強烈な火のエネルギーを持つ丙午🐴
内なる情熱をそれぞれの燃やし方で生きる!
来年もどうぞ宜しくお願い致します

