値上がりラッシュをそこまで感じない
川崎百合ヶ丘の美容室ブランカのまりです
食材をお任せしているヨシケイさんの値上げが少しなんです
あいかわらず平日は毎日届けてくれるし
本当に助かっています🍞🐟🍖
旅行は高くなりましたね
どこのバスツアーも価格据え置きは立ち寄り先が減っています🚍
この4月以降にB自動車運転者の労働時間等の改善のための基準が改正されるので
四季の旅さんでも日帰り戸隠神社5社巡り・諏訪大社4社巡り・秩父三社巡りに
昨年 参加した上毛三社詣ツアーも廃止されることになりました
上毛三社とは群馬県内にある赤城山、榛名山、妙義山にそれぞれ鎮座する神社です⛩
朝ごはんは家で頂いたのに
関越自動車道 高坂SAで練り物🦐とバーガー🍔までGET
即食💧
ときおり遠くに長野県境にある雪を被った浅間山が見えます⛰
こんにゃくパークと群馬サファリパークの間を抜けて下仁田ICを過ぎ
最初は妙技神社⛩
↓奇石が特徴の妙義山ですが
昔は波己曽 はこそ 山と呼ばれていたとのこと📝
南側の白雲山(白雲山相馬岳が最高峰1104m)・全洞山・金鶏山らを表妙義
北側の谷急山・丁須の頭・御兵らを裏妙義と呼び
これらの総称を妙義山と呼び国指定の名勝地であります
中腹には大の字が鎮座
妙義大権現を省略した 大 を意味しており
神社にお詣りできない人が大の字に手を合わせたそうです
JR信越本線 松井田駅が最寄りです 富岡製糸場もまぁまぁ近い!
白雲山の東山麓に妙義神社は537年に創建され
神仏習合し白雲山高顕院石塔寺が祭祀を司り
1637年に長清法印が中興し基盤が造られたのち
最盛期には末寺2カ寺 専中3カ寺 門徒7ケ寺を擁し
江戸時代中期宝暦1751年~1764年から安永1772年~1781年にかけ
境内の大造営が行われて繁栄しました
境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれています
ご祭神
〇日本武尊
〇豊受大神
〇菅原道真
〇権大納言長親卿(花山院 長親)
境内図 HPより
一の鳥居
紅葉に挟まれた大の字見つけられましたか?
岩山は古い火山の溶岩が風化や浸食によってできたそうです
枝ぶりでしだれ桜の見事さが想像できます
緻密な石垣は江戸中期に妙義山で採れた安山岩で築かれています
素朴な階段は江戸時代から修復されておりません
総門 1773年 重要文化財 12m
もとは白雲山石塔寺の仁王門で江戸時代後期の代表である八脚門
右上側は明治期以前に石塔寺がおかれていた旧寺域
歩きにくいですが良い感じ
銅鳥居
根元に可愛い獅子
HPより
左側に樹齢500年を超えた三本の杉があります
杉の間にある石に立つと神域の社殿に真っすぐ見通せるの位置なので
神聖な遙拝場所と推測されており◎パワースポットらしいです
なのに だめだぁなぁ~ 何も感じない💧
共感する人が多いのだなぁ
石の太鼓橋から伸びる135段の階段上が御神域
なんともかわゆい獅子の手水舎
脇参道 女坂から神域を目指しまず
水の流れはありません
道中に沢山の風鈴があしらわれており涼やかな音色にいやされます
石碑
ここから登山道です!
一般向き↓ではないようです!垂直に近い岩山なのでかなりの上級者コースで
後ろに控える白雲山や金洞山へはかなり危険な鎖場が存在し死者が出ているそうです📝
社殿を目指します👣
愛宕社
水神社
石塔の後ろ側が岩だった
まさに奇石…
本殿・幣殿・拝殿からなる権現造り 1756年
黒漆塗銅茸入母屋造り
拝殿 千鳥破風の前に唐破風の向拝屋根を張り出す造り
花天井
唐破風には鶴と松
海老虹梁に丸彫りの金の竜
木鼻の獏と獅子も金で尾垂木は雲形
柱には根巻金具 金色の擬宝珠はブドウの葉?
屋根には三つ巴紋
色彩POP!↓
これらの見事な彫刻は日光東照宮の彫刻師によるそうです
正面 千鳥破風
入母屋破風
本殿裏の 天狗社 うちわと鳥天狗のお顔
透塀から附神饌所に繋がります
蟇股は花と連雀?彫刻
妻飾り大瓶束の両側の彫刻は麒麟
唐門 1756年 重要文化財
欄間の彫刻は松に鳳風
虹梁中備え 蟇股は千鳥と波
松に雉の透彫
菊花葉の籠彫
龍の天井画
石垣上に袖塀
唐門からの下界
遠くに榛名山
神仏習合だったので銅鳥居&総門・スピリチュアル3本杉も見えます
隋神門
長床
他が素晴らしいだけに 像が残念な感じもします
下り右側の杉は倒木危険回避の為に伐採
銅鳥居に戻ります
歴史を感じる石碑
百六十五段の石段は傾斜が強く狭いしボコボコしているので気をつけてください
もう一度見上げるが何も感じない チーン
旧御本社の波己曾社は1969年に上部神域より移築
もみじからの
灯篭あしもとの花は岩茵蔯 イワインチン ?
総門に戻りました
ドローン撮影中のドローン↓を撮りました
駐車場 道の駅みょうぎでソフトクリームを頂きながら
妙義山登りに挑戦したいとこの時は思ったけど…⛰
興味深い妙義山を後にして
この後向かった榛名神社は長いので次回のブログにて!
ここからは三ヶ所目の赤城神社へつなげます
榛名山を下山して🚍
伊香保温泉を通ります
車窓から紅葉を愛でます
国道353号からの
群馬県道255号下久屋渋川線を走り↓利根川を渡り🚍
群馬県道4号前橋赤城線に入ります🚍
道中は減速のため波打つ路面に急勾配、急カーブが続くので運転手さんの腕が必要です🚍
県道251号 関東ふれあいの道 ツツジのみち
赤城山は標高1,828mの黒檜山・駒ケ岳・地蔵岳・荒山・鍋割山・鈴ヶ岳・長七郎山の総称でカルデラ湖大沼は南北約4キロ
大沼湖のほとり小鳥ヶ島に鎮座する大洞赤城神社が見えてきました
が クレーン車が嫌な予感
途中山側に赤城稲荷大神の鳥居が見えます
あぁ~残念 赤い橋が見たかったのに平成31年から工事中
以前の啄木鳥橋
ネットから引用しました
大洞赤城神社
主祭神 赤城山と
赤城大明神(湖の神様)
大国主神・磐筒男神・磐筒女神 他39柱の神
(明治20年~43年の間、小沼畔・豊受神社、小鳥ヶ島・厳島神社、黒檜山頂・高於 神神社など赤城山内の神社を合祀)
赤城姫伝説
かつて高延大将家成という公家のもとに若君一人と姫君が三人がおりましたが
母君が亡くなった後に後妻に入った継母が三人の娘の美しさを妬んで殺害を計画
次女の赤城姫が赤城山へ逃亡し山中をさまよっていたところ
沼の竜神が現れて長生きの素晴らしい竜宮城へ案内しますと言い助けました
赤城姫はその後に龍神の跡を継いで赤城大明神になったのだそうです
設立年代は不詳ですが806年に小沼から見上げる現在の地蔵岳の中腹より大沼の畔に御遷宮されたという記録があるそうです
1970年まで約1200年鎮座した聖地は正面あたりで今は弁天宮になっているそうです
徳川家の紋
江戸時代に相殿に東照大権現・徳川家康公をお祀りし
三代将軍徳川家光公は1642年に社殿の再建を命じられました
ワカサギ釣りが有名ですが鯉はつってはいけません
この地へ移転する際に多宝塔の下から平安後期〜室町時代に作られて
奉納された10面の銅鏡が出土したそうです
竜の手水
1642年徳川家光公の命により再建された社殿は1970年こちらに移されました
左から 豊臣家や皇室の五七の桐紋
天皇家の菊の御紋
徳川家の三つ葉葵紋
敷地内に前橋市の薔薇のマンホール見っけ
🚍全ての行程が終わり帰路に向かいますが
次回のブログは榛名神社へ続きます