こんにちは
箱ティッシュペーパー5個をネットで780円で購入した
たった3坪のルームサロン美容室ブランカのまりです
まぁこの時期だからそんなものでしょうと納得
到着したら
送料別でした
しかも本命より高い980円って
ちゃんと見ない私が悪い…
^^
はい東京に続き神戸で開催!
兵庫県立美術館のゴッホ展に参りました
私的感覚として
大人気なゴッホ氏作品まみれの展示はありえません
ゴッホ氏は1853年にオランダのズンデルトで
牧師の長男として生まれました。
1869年におじの画廊に就職するも
失恋をきっかけに減退し76年に解雇されてしまいます。
その後も
不器用な性格が災いし
いくつかの職を渡りながら道を探す日々が続きます.
父親からの仕送りはなくなり
パリで画商をしていた弟のテオが
描いた作品はすべて自分が権利を持つという約束で
給料の半分をゴッホ氏に送金していたそうです。
〇1880年に画家になることを決意!
オランダ、ブリュッセルに移り
友人で助言者である画家のアントン・ファン・ラッパルト氏と交流します。。
〇1881年12月にハーグに移り
親戚のアントン・マウフェ氏が絵画の道具一式を与え、描く基礎を教えました。
そのころのオランダはレンブラント氏やフェルメール氏が有名でした。
あの
マティス・マリス氏と交流があり
ミレー氏(バルビゾン派) と
ヨゼフ・イスラエル氏(ハーグ派)が好きだったそうです。。
このころは農民や静物画の素描が多く暗い色彩が特徴で
1884年に初めていくつかの油彩画を描きました。
〇1885年11月にベルギーのアントウェルペンの美術学校に3か月通います
〇1886年からパリで弟のテオと同居を始め
大通りの印象派と呼ばれたモネ氏やルノアール氏そしてセザンヌ氏に対して
画塾でロートレック氏や
裏通りの印象派と呼ばれていたゴーギャン氏に出会います。
ゴッホ氏の特徴でもある点に筆をおく技法もここから
そして
印象派の影響で次第に彼の絵は明るい色彩になっていきます。
〇1888年静養に南仏アルルに移り住みます
アドルフ・モンティセリ氏の手法である厚塗りを確立し
有名な「ひまわり」 「夜のカフェテラス」を生み出していますが
以外にも
ゴッホ氏は人物画にこだわったそうです
「クロードモネが風景を描くように
人物を描かなくてはいけない」
とテオ氏への手紙に書いています。
↓麦畑は1週間描き続けたそうです。
引っ越しばかりで不思議なゴッホ氏ゴホゴホ
次回に続きます