休日 関東 たまに中部編

高幡不動尊 in 東京日野

 

百合ヶ丘駅のコンコースにモスバーガーがオープンした
川崎市百合ヶ丘の美容室ブランカのまりです


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私はモスチキン派なのでクリスマスにGood~☆
利用者沸騰中で

月見フォカッチャが連日売り切れのようです

でも
私の足が向いたのは改札前のそば元長

蕎麦はたっぷりでつけ汁には大葉にミョウガになす天よ~🥢

さて

ブログは秋の彼岸の頃にさかのぼります
訪れた東京都日野市の高幡不動尊の正式名称は高幡山明王院金剛寺

宗派は
真言宗智山派 別格本山

これで雨降山大山寺(大山不動尊)・成田山新勝寺に続き関東三大不動 詣でが実現!

私たちの集団は、真言宗智山派といいます。真言宗智山派HPより

始まりは諸説ありますが
寺伝によれば平安時代初期に慈覚大師(794年~864年)が清和天皇(在位 858年 ~876年 )の勅願により東関鎮護の霊場と定めて高幡山中に不動堂を建立し不動明王を安置したことから📝

五重塔と交通安全祈願殿の降魔殿

仁王門も見えているのですが…

11時でも空いていたので正面の開運そばで昼食

金運招来席で 大盛天ざる

初!稲穂の天ぷら

さぁ~行くわよ
境内図

主な指定文化財

重要文化財・仁王門は当初楼門として計画されていたのですが
計画が変更され上層を覆うように屋根がかけられ近年まで単層でしたが
1959年解体修理の際楼門として復原され屋根も銅板葺きに変えられました

格子天井

仁王尊は室町時代の作
剥げた感じもまた良い
阿形

吽型

門の裏はちょうちん

手水舎

土方歳三銅像 (日野市石田生まれ)
殉節両雄之碑
((近藤勇(調布市生まれ)・土方歳三両雄の碑
碑が完成しても建立の許可が得られず明治21年に実現した))

不動堂 重要文化財 (東京都最古の文化財建造物)
1342年山中より移建
不動堂は清和天皇に勅願により慈覚大師が東関鎮護の霊場として山中に建立しましたが
1335年8月4日暴風雨により倒壊したため
中興第1世儀海上人が現在のところに移建した堂で

右にはおびんずるさま

暑いのにもうすすき 弁天池を渡ります

本日初の曼珠沙華

カメラ人気がありました

横から見る不動堂 妻面は木連格子に銅坂葺が綺麗でまた違う趣

総高45mの五重塔は満5年の歳月をかけ竣工
三手先出組・青銅瓦葺など平安初期の様式を模しています

扉があいております 

 

高幡不動尊が曼珠沙華を増やしていると小耳にはさみ
楽しみに参りました

good!

1339年の常陸合戦に従軍して戦死した山内経之の菩提を弔うため高幡不動の本尊不動明王の像内に収められて伝来したものが 重要文化財 高幡不動本尊像内文書である
これらは昭和初年に本尊の首の辺から束ねた形で取り出されたと伝え、昭和六十年から六十二年度に東京都と日野市教育委員会が行った調査報告によって広く世に紹介され、平成四年度の『日野市史史料集』編纂の過程で、断簡を含む六九通の文書と五一紙の断片類に分類整理がなされた。
六九通のうち五〇通が筆跡等から山内経之自筆書状と認められこの経之は文書からみて
山内首藤の支族として日野本郷の地に所領をもち、高幡殿(高麗助綱) 新井殿 青柳三郎といった近隣の在地領主層と密接な関係をもつ武士であったことがわかる。
これら経之書状は平易な仮名文で戦場からの書状には料紙の制約もあってか
たておりがみを用いるなどの特徴がみえ
その内容も彼の日常生活に関するものをはじめ
常陸合戦の陣中や戦場から留守宅の妻子や高幡不動の僧侶などに充てたものがほとんどで
当時の東国武士の実態を赤裸々に伝えて価値が高い
ところでこれら納入文書の紙背には十四世紀頃とみられる不動明王ないし大黒天の印仏が捺されている
印仏の目的については諸説あるが
本文書群が山内経之の妻子やその関係者の手元にあった経之書状をことさら蒐め
これらを料紙として印仏を行っていることよりみれば
この印仏群が山内経之の親族関係者による経之供養のための作善遺品であることは明らかである
また本文書が納入されていた本尊は像内納入墨書銘札等によって
建武二年の大風によって倒壊した本堂のため大破し
康永元年(一三四二)六月廿八日にその修復がなされたことが判明するから
おそらく本文書は経之の三回忌供養に際して故人との親交厚かった不動堂住僧との関係などを通じて修復なった本尊の像内に納められたものであろう
国指定文化財等指定データベースから引用

ここから弘法大師空海上人が修行のために開いた
四国八十八ヶ所霊場巡りと
同じご利益とか?
敷地内にある愛宕山は高幡城址で
山内88か所巡りができます👣

ネット内から引用

城内跡の山道は良い感じ!

1番から88番までの全てがお顔が違う弘法大使像
寺名はありませんが四国お遍路の札所の在地が載っております

80札所は弘法大師さまの真言宗(宗派名あり)で
ご本尊は薬師如来・阿弥陀如来・大日如来・大通智勝如来・薬師瑠璃光如来・十一面観世音菩薩・千手観世音菩薩・虚空蔵菩薩・文殊菩薩・地蔵菩薩・聖観音世音菩薩・馬頭観音・不動明王・波切不動明王・毘沙聞天 等様々です📝

一番札所 竺和山 一乗院 霊山寺

二番札所 日照山 無量寿院 極楽寺

三番札所 亀光山 釈迦院 金泉寺

四番札所 黒巌山 遍照院 大日寺

五番札所 無尽山 荘厳院 地蔵寺

6番札所 温泉山 瑠璃光院 安楽寺

曼珠沙華が良い感じ!

7番札所 光明山 蓮華院 十楽寺

八番札所 普明山 真光院 熊谷寺

九番札所 正覚山 菩提院 法輪寺

十番札所 得度山 灌頂院 切幡寺

十一番札所 金剛山 一乗院 藤井寺
臨済宗妙心寺派

12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺

十三番札所 大栗山 花蔵院 大日寺

十四番札所 盛寿山 延命院 常楽寺

十五番札所 薬王山 金色院 國分寺
曹洞宗

16番札所 光耀山 千手院 観音寺

十七番札所 瑠璃山 真福院 井戸寺

十八番札所 母養山 宝樹院 恩山寺

十九番札所 橋池山 摩尼院 立江寺

二十番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

二十一番札所 舎心山 常住院 太龍寺

二十二番札所 白水山 医王院 平等寺

二十三番札所 医王山 無量寿院 薬王寺

二十四番札所 室戸山 明星院 最御崎寺

二十五番札所 宝珠山 真言院 津照寺

二十六番札所 龍頭山 光明院 金剛頂寺

二十七番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺

二十八番札所 法界山 高照院 大日寺

二十九番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺

三十番札所 百々山 東明院 善楽寺

三十一番札所 五台山 金色院 竹林寺

三十二番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺

三十三番札所 高福山 幸福院 雪蹊寺
臨済宗妙心寺派

↑↓この辺りには堀切跡があります

三十四番札所 本尾山 朱雀院 種間寺

三十五番札所 醫王山 鏡池院 清瀧寺

三十六番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺

三十七番札所 藤井山 五智院 岩本寺

三十八番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺

三十九番札所  赤亀山 寺山院 延光寺

掲示板では高幡城址
現地案内では見晴台山頂の一帯は本郭跡です

奥に進むと2郭跡に行けると思いますが88ケ所に則って歩きます

本丸南端の階段

四十番札所 平城山 薬師院 観自在寺

四十一番札所 稲荷山 護国院 龍光寺

四十二番札所 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺

四十三番札所 源光山 円手院 明石寺
天台寺門宗

四十四番札所 菅生山 大覚院 大寶寺

四十五番札所 海岸山 岩屋寺

四十六番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺

四十七番札所 熊野山 妙見院 八坂寺

四十八番札所  清滝山 安養院 西林寺

四十九番札所 西林山 三蔵院 浄土寺

五十番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺

五十一番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺

五十二番札所 龍雲山 護持院 太山寺

五十三番札所 須賀山 正智院 円明寺

五十四番札所 近見山 宝鐘院 延命寺

仙台から宇和島藩伊達家にお供した先祖のお墓があった泰平寺を探してしまいましたが
新四国曼荼羅霊場の54番でした

55番は案内板の見晴らし台がある辺り

五十六番札所 金輪山 勅王院 泰山寺

 

五十七札所 府頭山 無量寿院 栄福寺

五十八札所 作礼山 千光院 仙遊寺

五十九札所 金光山 最勝院 国分寺

六十札所 石鈇山 福智院 横峰寺

六十一札所 栴檀山 教王院 香園寺

六十二札所 天養山 観音院 宝寿寺

六十三札所 密教山 胎蔵院 吉祥寺

六十四札所 石鈇山 金色院 前神寺

六十五札所 由霊山 慈尊院 三角寺

谷地にの馬場跡と思われる広場に紅白の曼珠沙華

六十六札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺

六十七札所 小松尾山 不動光院 大興寺

六十八札所 七宝山 神恵院

六十九札所 七宝山 観音寺

七十札所 七宝山 持宝院 本山寺

七十一札所 剣五山 千手院 弥谷寺

七十二札所 我拝師山 延命院 曼荼羅寺

七十三札所 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺

七十四札所 医王山 多宝院 甲山寺

七十五札所 五岳山 誕生院 善通寺

高幡城・虎口

高幡城本丸跡

2郭跡と先ほどの本郭跡繋がっています

七十六札所 鶏足山 宝幢院 金倉寺
天台寺門宗

七十七札所 桑多山 明王院 道隆寺
このあたりに茶屋がありました

七十八札所 仏光山 広徳院 郷照寺
時宗

七十九札所 金華山 高照院 天皇寺

八十札所 白牛山 千手院 国分寺

八十一札所 綾松山 洞林院 白峯寺

八十二札所 青峰山 千手院 根香寺
天台宗

八十三札所 神毫山 大宝院 一宮寺

八十四札所 南面山 千光院 屋島寺

八十五札所 五剣山 観自在院 八栗寺

八十六札所 補陀洛山 志度寺

八十七札所 補陀落山 観音院 長尾寺
天台宗山門派

離れている八十八札所を目指します

鐘楼

あじさい祭もある高幡不動尊です

さんしゅゆ へぇ~

finish‼

八十八札所 医王山 遍照光院 大窪寺

 

数珠をお持ちです

八十八札所は大師堂前でした

大師堂の前のお砂ぶみ石(四国八十八ヶ所の全ての砂)の上でお参りする事で
四国八十八ヶ所のご利益を受けられるとか

木鼻は獅子と獏だと思うんですけど

虚空蔵菩薩さまは大空のように広い

聖天堂

聖天様は他の神様や仏様に見捨てられたものでも
一心にお祈り参拝をすれば必ず救済する諸願成就を果たすと言われますが
礼儀・義理・縁を大事にされる神様ゆえに
御縁を切ろうとするものなら大いに怒り祟りをもたらすとも言われているそうです


下が成田山の聖天堂の内部ですが聖天様のお姿はありません
お聖天様を祀るにはとても厳しいルールのもとに行わないといけないとされているからか
どこも秘仏としており 聖天壇の円柱の厨子の中に安置され
一般公開されることは少ないそうです📝

ガネーシャという障害をもたらす神や祟りによって
国に災いをもたらしたビナヤキヤという神様の由来伝説がありますが
この災いを止めた十一面観音菩薩様も聖天堂に鎮座しております📝

金属製で20~30cmほどの大きさとされ
象の頭を持つ男天と女天が抱き合う姿の聖天様(歓喜天)
男天は大自在天で女天が十一面観音菩薩様
の写真をネット内で見つけましたが祟りと聞いてしまうと
アップするのはやめました

~順路が変ですみません~

狛犬

手水舎

龍の彫り

日本に最も多く足跡を残す1人であろう
弘法大師 空海様

大日堂 拝観料200円

手前には珊瑚樹 さんごじゅ
材や厚い葉に水分が多い樹木で 葉や枝に火をつけると切り口から泡を吹いて火に対抗し
燃えにくい性質があります

大日堂は高幡山の総本堂で
平安時代に造られた大日如来像が安置され
土方歳三の位牌もここに納められています

後藤純男画伯が描いた襖絵「桂林山水朝陽夕粧」が設えられ
何度も手を叩いてみました👏
天井画の鳴り龍は手を叩くと反響音がします👏

15-鳴り龍天井 ネットより

 

山門がとても良いです!山号額は「十善花開処

獅子の木鼻

↑↓彫りが見事なんです

最後の楽しみ↓

奥殿のお詣りをする所もガラス越しに
重要文化財の丈六不動三尊と両脇のせいたか童子像・こんがら童子像を拝む事ができますが
拝観料300円で高幡不動尊に伝承されている文化財と共に目の前でお詣りできます📝
※不動明王は如来の化身なので仏格では最高位

詳細

不動明王像はカヤ材の寄木造【よせぎづくり】
頭体幹部を通して前後左右四材から彫出し
内刳【うちぐり】のうえ割首【わりくび】とする構造になる
光背の刻銘や像内に納入された銘札により
建武二年(一三三五)に大風による不動堂の倒壊に伴って破損したため
康永元年(一三四二)に脇侍像とともに修理が施されたことが知られる
現状では面相部や上体のほとんどにこのときの所為とみられる大幅な彫直しの手が加わっているが
髪の一部や右腕、両足部などには製作当初の堅実な造形が認められる
二童子像はいずれもホウとみられる材の寄木造で共に
頭体幹部を通して左右二材に背面材(後頭部を含む)を寄せた三材から造り内刳りを施す
中尊像に較べて修理は小規模であったとみられ
その諧謔的な面貌 姿態に平安後期の特色が明瞭にうかがえる
その作風や材質からみてこの地での造像とみられるが
近世地誌類に『平治物語』や『吾妻鏡』に登場するこの地の豪族 平山季重【ひらやますえしげ】が本寺を再興したことを記すものがあり
本三尊像の造立にこうした在地武士が関わった可能性があろう
他に類例のない平安時代の丈六の不動三尊像として貴重な作例といえよう
なお中尊像の像内に納められていたおびただしい印仏類(書状の裏を用いて押印)が
今回古文書として重要文化財の指定を受けている

文化遺産データベースより

 

黒光りされて木造には見えない迫力!

丈六不動明王坐像(重要文化財)
 高幡不動尊HPより

高幡山金剛寺第三十三世貫主 大僧正 川澄祐勝師による
復元までの談話は総本山智積院HPより抜粋しました

高幡不動尊の不動明王像は国指定の重要文化財です
その不動明王像の高さは丈六(坐像三メートル)で平安時代の作として有名です
この大きさの平安時代の仏像は関東に四体しかありません
不動明王像に限れば高幡不動尊の尊像のみです
この不動明王像は武蔵野が草深い地の代名詞のように語られていた平安時代後期に高幡の地で造立され
大勢の参詣者に護られた像で関東地方の不動信仰の先駆けになったことは間違いないと思われます
その不動明王像と約二万点の収蔵文化財の総合調査が昭和六十年から六十一年にかけて
文化庁と東京都の調査班によりとり行われました
その調査でさまざまなことが解明されました。
その中でも丈六の不動明王像は正面から見ると威風堂々としていますが
裏から見ると大変に傷んでおりいつ崩れても不思議でない状態です
早急に修理して下さいと指摘されました
このことを秋山大僧正に申し上げたところ「弱ったなぁ」と仰るのみで「修復しろ」とは仰いません
なぜなら、高幡不動尊では年間二千百座以上の護摩修行をとり行いますので
ご本尊の不動明王のお姿がないということは考えられないのです
その後平成元年に私は高幡不動尊の住職になりましたので
この修復事業は私の仕事だと受け止めました
とはいえ修復は京都国立博物館国宝修理所でしかできず修復期間は四年あまりとのこと
今までのご本尊さまに準じた大きさの身代り本尊像を造立することになりましたが
費用は三億円「大変だなぁ」というのが正直な気持ちでした
皆さまご承知の通り浅草寺の雷門と風神・雷神像は、松下幸之助氏が一人で納めたものです
そこで私は高幡の檀信徒の中に松下さんのような方がおられないかと探しましたところ
お一人の方から声がかかり両童子さまの奉納が決まりました
しかしその安堵も束の間
翌朝にはその方の息子さんから「うちもバブルが弾けて以降そんな余裕はないので出せない」と断られてしまいます
断られた瞬間に私は目覚めました
本尊不動明王が平安時代から現在まで大勢の参詣者のお力で護られてきたことに改めて気がつきました
その日の護摩修行から参詣者お一人お一人に一口一万円のご寄進のお願いを申し上げ
おかげさまで四年間に一万人近い方からご寄進をいただき
平成九年四月十二日に新たに造立した身代りの丈六不動三尊をお迎えすることができたのです

以上

デジタル社会の今は

独立法人国立美術館 2019年
法隆寺2022年
国立科学博物館2023年

のようにクラウドファンディングで寄付を募るようになってゆくのでしょう!

 

ABOUT ME
まり
生涯現役! 余暇を楽しみ、 お客様に喜んでいただけるように 知識と技術の向上に取り組んでいく所存です!

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