水道水やミネラルウォーターに混入する
硝酸態窒素で酸欠や栄養不良の状態になると知った
川崎市百合ヶ丘・美容室ブランカのまりです
物知り添乗員さんが教えてくれました📝
化学肥料に含まれる硝酸態窒素は全てが植物に吸収されるわけではなく
約半分は土壌に残り地下水や河川に流れ込むそうです
ミネラルウォーターは動画やブログがあります
神奈川県は大丈夫みたい・水道水は自治体のHPで確認できると思います
3.11の後に買い替えたシーガルフォーはダメみたいですね
以下HPより抜粋
本品は設計上化学的に塩に分類される物(塩化ナトリウム、硫酸カルシウム、硝酸アンモニウム、亜硝酸性硝酸性窒素等)また、第一鉄、第一マンガン、アルムニウムイオン、人工色素、シリカ、硫化水素は除去できません
浄水器は逆浸透膜タイプがいいみたいです!
~さて前回からの続き~
南側に鎮座する諏訪大社 上社に向かう途中
諏訪湖もアヒルの船も大きい
上川
上諏訪神社と下諏訪神社という別々の神社が明治初年の国策によって諏訪大社となりました
諏訪大社の上社 前宮は 御祭神 建御名方神タケミナカタノカミが最初に居を構えたと伝えられる諏訪信仰発祥の地であり本宮共にご神体は守屋山です
駐車場内にも稲の御霊を祀る
摂社 荒玉社が鎮座しています
四本之御柱に寄れるのは上社 前宮だけです
おぉ~藤が大鳥居の丈を超えています
大鳥居 近くはみそぎの池だったようで溝上社は池の中にありました
御祭神 高志奴奈河比賣命こしぬなかわひめのみこと
画像はお借りしました
石段を進みます
御手祓道 読めない
画像はお借りしました
地図上横に走る御手祓道は肉眼では確認できませんでした
上社 前宮は縄文時代からつながる今でいうシャーマンのような守矢家が要となっている
大変興味深い神社です
十間廊
中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で
全ての貢ぎ物はここで大祝おおほうりと呼ばれる生き神様に供えられたそうです
諏訪大社建立前の1500年以上前から明治維新まで
土着部族の長だった守矢家が諏訪大社の神長官職に据えられました
(江戸時代の政教分離で藩主諏訪家と大祝諏方家に別れています)
行われた御頭祭(現在は酉の祭)では
鹿・猪・ウサギ、魚に加え🦌鹿の頭を75供えていたそうです
(現在は5頭の剥製を使用しています)
内御玉殿 うちのみたまどの
祖霊が宿るとされる御神宝が安置されていました
1573年 旧殿の材を利用し1932年再建
流造の銅板葺屋根は新しいので2020年の修繕かと思われる
若御子社
御室社
現人神の大祝や、ミシャグジ神を降ろす神長官などが冬篭りするための
半地下の土室があったと言われています
近くの欅けやきも巨木
途中にある交流センター前宮 は資料館とカフェ(この日は休み)にトイレもあります
200mほど上段に鎮座する
拝殿は1932年伊勢神宮の御用材を以て建られました
上社の神紋は四本根の梶の葉
前宮 一之御柱
前宮 四之御柱
前宮 三之御柱
前宮 二之御柱
山から流れる水眼すいがは御手洗川へ
ここにも大きな藤がぁー
御柱を超えています
拝殿の後ろに巨木
近くには光が漏れる空洞のある大木
先に進むと鎌倉道につながり干沢城跡へ行けるみたい
ハイキングコースもあるようです
マンホールの土偶は茅野市尖石縄文考古館の国宝の土偶だそう
北参道
手水舎
手順
明神湯も温泉です
正式には↓東参道からが順路のようでした
私は直進してしまいました💦
一之御柱
高島神社
諏訪氏は高島藩主でもありました
堀重門から入ります
手水舎
元宮も諏訪造りとよばれる本殿を持たない建築様式
もとは極彩色だったそうですが織田信長により焼失後 1830年~1838年再建
社殿の敷地 斎庭ゆにわには入れません
勅願殿 重要文化財
私事の祈祷をおこなう場所
宝物殿
画像はお借りしました
1608年に徳川家康が建立させたという重要文化財
斎庭をぬけて向こう側に硯石があります
(石を神とする 磐座信仰)
左右に宝殿があり幣拝殿も伺えます
摂社 大国主社
布橋も明治維新前までは大祝(祭神の子孫であり神を顕現する者)だけが使えたそうです
現在も御柱祭の時は神輿の道筋として当時のように布を敷くそうです
布橋の入口御門 重要文化財 1829年建立
竜の彫刻
神馬舎 重要文化財
五間廊 重要文化財
手前は勅使殿
土俵
鹿島神宮の建御雷神と諏訪大社 上社の建御名方神の戦いが相撲の起源だそうです
神楽殿 重要文化財
牛の1枚皮でつくられている直径180cmの太鼓
天流水舎 重要文化財
本宮前は店が多く
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私も自然崇拝派
急ぎ足ながらも10000社の諏訪神社を束ねる諏訪大社の4社を巡ることができて
とても良かったです!!
四季の旅さんありがとうございました☺
さぁ
とりあえず浄水器のカートリッジ交換をしておくか彡