こんにちは
9月13日で神戸での営業を終了する
たった3坪のルームサロン美容室ブランカのまりです
キャンセルがでましたら即ホットペッパービューティに反映させております
次は神奈川県川崎市北部で5坪のルームサロンを始めます
今週から内装工事に入りました
目標は10月下旬オープンです
引っ越しは荷造りと気晴らしのバランスが大事
という事にして
前々回と前回に続き京都
日帰りだからGo to キャンペーン関係ないですね
京都が空いていたおかげでもう1か所周ります
それも今春行けなかった
京都五山
国宝 天龍寺です
暦応2年(1339年)
1339年、後醍醐天皇が亡くなると
7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与された夢窓疎石国師が
皮肉にも後醍醐天皇を吉野(南朝)に追いやった
足利尊氏将軍に菩提を弔うように進言して
亀山離宮(小倉山)があったところに創建された禅寺です
生きているときに
関係を修復すれば良かったのにと凡人は思う
ZENRINより
庫裏(台所兼寺務所の機能)の玄関口を入り
大方丈へ
明治32年(1899)、本尊は釈迦如来坐像【重要文化財】
秋の間では若狭物外画伯(富岡鉄斎唯一の孫弟子)による雲龍襖絵がお出迎え
燃える赤で不動明王様を表しています
西側にある
特別名勝の池泉回遊式庭園、曹源池を拝見
右の石組は三体の仏像を表現した「釈迦三尊石」で
中央には「登龍門」の由来で2枚の巨石を立てた龍門の滝があります。
滝を登り龍になろうとする鯉を模した石(鯉魚石)が滝の途中に配されており
修行道の険しさを命をかけて滝を登る鯉の姿で示しております
ネットから引用
庭から見る大方丈と書院
訪問直後の動画は書院から始まります
閉門が近い時間の動画は
人が入らずにぐるっと撮れています
書院を出ます
多宝殿に向かう渡り廊下を進みます
多宝殿
紫宸殿造りの後醍醐天皇の聖廟で
外へ出て登り進めてみます
夏なのに赤い紅葉の先に見える屋根は
非公開の僧堂で
禅宗の修行僧さん(雲水うんすい)たちの修行道場だそうです
北門まで来ました
この竹群が人気No1の竹林道です
望郷の丘あたりです
諸堂(大方丈・書院・多宝殿)から外に出てきました
この大きい鬼瓦は
実際に諸堂で使用されていたけれど
そこまで古くはないそうです
北側に釣鐘が見えますが
除夜の鐘の時しか入れないそうです
法堂(はっとう)
元治元年(1864)の兵火にて焼失したが
明治になり江戸後期建立の雲居庵禅堂(選佛場)が移築され、
正面須弥壇には釈迦三尊像を安置し、
後の壇には光厳上皇の位牌と歴代住持の位牌、
開山夢窓疎石と開基足利尊氏の木像が祀られ仏殿としても使用されています
天井には八方睨みの龍「雲龍図」が描かれています
雲龍図は平日は非公開だそうです
移築当時は明治期に活躍された鈴木松年画伯の雲龍図が描かれていたが
平成9年(1997)天龍寺開山夢窓国師650年遠諱記念事業として
日本画家加山又造画伯(1927~2004)により「雲龍図」が描かれました
ここから入ります~
天龍寺HPより
ここから先は歩いて外から観賞するだけです
法堂裏の廊下の先に見える屋根が大方丈
友雲庵
禅堂
金閣(舎利殿)は
室町幕府・3代将軍の足利義満
南朝と北朝を統一し、
明との貿易でお金を生み
歴代将軍の中で最も力があった力の象徴
11才で征夷大将軍になり
生涯取り組んだまつりごとの拠点である京都を
子孫の後継者争いに、大名の権力争いが絡み
11年もの戦火に及ぶ
応仁の乱に発展するとは皮肉なことだと思う。
京都は大人のアミージュメントパーク
ここにしかない歴史的景観は超素晴らしい
しかし華やかな面もあれば真逆もあり
歴史についてまわる
裏切り,戦い,殺戮🙏
民や女性の嘆きが聞こえるから
感動だけで済むわけがない心が動く⤵️
そして
改めて今の時代に感謝もする!
癖になる京都
神奈川県に帰っても
また訪れたいと思いをはせて終わります。
合掌