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日本国立大博物館にて 聖徳太子と法隆寺展

こんにちはニコニコ

今季もオリンピックもニュースを見るだけの

美容室ブランカのまりですニコニコ

それでもいつもと違うのは

つい昨年の神戸時代のお客様の娘さまが

柔道の稽古場で今回金メダルをとっ

阿部兄妹と共に練習していたり、

別の娘さまは空手の型でオリンピック代表選考に最後まで残っておられたりして、

ご家族に思いをはせる大会になりました。

お母さまである年下のお二人は

自分軸がありながらも

さっぱりしたご性格で学ぶ所も多く、

慣れない土地でとてもお世話になり、

本当にありがとうございましたニコニコ


師ランキング

前回の蓮つながりでスタートします

ここ約2kmにわたる広大な上野・不忍池は
蓮で尽くされて水面が見えません ポーン

天然池で第二次世界大戦時は水田として利用されたために、

蓮が無くなったのですが後に戻されたそうです

午前中だけ花が咲き

、開花から3日後には散ってしまうのです。

ボート乗り場を回り込むとたくさんの鴨

ご本尊が八臂大弁財天で徳・芸能・長寿や福の守りとして
信仰されている八角堂から
動物園方向に蓮をめでました

境内には鳥 魚 すっぽん 包丁 暦 扇 いと 眼鏡などの、生き物や物を供養する色んな種類の塚がありましたが

ふぐ塚↓わかりやすい

上野公園内をぶらり走る人
東照宮 重要文化財 1651年
水舎門の向こう、参道の両側には石灯籠が続いて見えます!
現在の↓社殿は(唐門、拝殿、本殿建築)
三代将軍徳川家光公が立て替えられました。
吽形の狛犬様
阿形の狛犬様と銅灯籠
ひとつだけ申の彫りがされています。
胸筋が豊かでりりしい狛犬様たちでした!

 

神楽殿
旧寛永寺五重塔 重要文化財

 

敷地外には
おばけ灯篭と名付けられた巨大な灯篭が!
公園を抜けたら目の前に
黒門 重要文化財
旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。
明治時代、当時の東宮御所正門として移されたのち、
高松宮邸に引き継がれ、
さらに昭和29年(1954)当館に移築されました。
大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称されるものです。

 

ふらふらしましたが💧
今日の目的は国立博物館!
大好きな法隆寺と聖徳太子氏がテーマです👍️
新型コロナ対応の為
人数制限をしているので事前予約が必要です。
混んでいないので助かります!
奈良・斑鳩の地に悠久の歴史を刻む法隆寺は、
推古天皇15年(607)聖徳太子によって創建されたと伝えられます。
太子様は仏教の真理を深く追究し、
冠位十二階や憲法十七条などの制度を整えることで、
後世に続くこの国の文化的な基盤を築き上げました。
日本書紀によると、法隆寺最初の伽藍(若草伽藍)は天智天皇9年(670)に焼失したとされ、
その後再建されたのが現在の西院伽藍です。

 

写真はNGなので以下は
国立博物館のHPとネット上にある記事からお借りしてきました🍀
スタートはキラキラです☆
 太子様が 四天王寺のご本尊を模倣して
神格化された太子様本来の姿と信じらた像。
 片足を腿上に乗せ、手をあごにあて思索する様子を半跏思惟像(はんかしゆいぞう)と言い、
飛鳥時代から奈良時代(7、8世紀)にかけて
弥勒菩薩として制作された例が多いそうです。
重要文化財 
如意輪観音菩薩半跏像(にょいりんかんのんぼさつはんかぞう
 平安時代・11~12世紀 奈良・法隆寺蔵味摩之
伎楽は612年推古天皇時、
太子様の指示により百済から帰化した
味摩之(みまし)が伝授したとが始まりとされています。他にも面はありましたが
 崑崙(こんろん)は縦味摩之34㎝もあり
怪物なので牙があります。
伎楽面(大型で頭までおおうのが特徴)
重要文化財  崑崙と呉女 
飛鳥時代(7世紀)国立博物館所蔵 

飛鳥時代前期の仏像の特徴がみられます↓

重要文化財

菩薩立像

飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺蔵
山形の高い宝冠、面長の顔に見開いた目、微笑みを浮かべた口、両体側に魚のヒレのように広がった衣の表現など、金堂釈迦三尊像の両脇侍と似ている。

止利仏師(とりぶっし)と同系統の仏師の作と見られる。

 

国宝

天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)
飛鳥時代・推古天皇30年(622)頃 奈良・中宮寺蔵
聖徳太子が亡くなられた後、

橘(たちばな)妃の願いを受け、

推古天皇の命によって作られたという帷(とばり(カーテン))の断片。太子が往生したという「天寿国」のありさまが緻密な刺繡によって表されており、飛鳥時代の仏教思想を知る上でも極めて重要な作品である。

 8月9日まで展示

太子様は

袍(ほう)を着て、笏(しゃく)を持ち、

頭に冕冠(べんかん)を載せております↓

国宝

聖徳太子および侍者像のうち聖徳太子
平安時代・保安2年(1121) 奈良・法隆寺蔵聖霊院の秘仏本尊で、聖徳太子の500年遠忌(おんき)にあたり造立された。平安時代後期における聖徳太子信仰の高まりを背景に制作された傑作である。

 

 

ユーモラスな侍者像4名も両側に配置されておりました

右から

太子様の仏教の師で高句麗の僧・恵慈法師(えじほうし)

異母弟の殖栗王(えぐりおう)

 

異母兄弟の卒末呂王(そまろおう)↓

太子様の息子さん山背大兄息子王(やましろのおおえのおう)

額の白毫(びゃくごう)は真珠が用いられております!

重要文化財 地蔵菩薩立像

平安時代(9世紀) 奈良法隆寺蔵

脱活乾漆造の重厚感でした
(土で作った原型に麻布 を漆で貼り重ねて形を作る技法で、
漆には木の粉が混ぜられており
材料は高価で、時間も手間もかかります)

 

国宝

行信僧都坐像(ぎょうしんそうずざぞう)

奈良時代・8世紀 奈良・法隆寺蔵
夢殿本尊救世観音像の左脇の厨子内に安置される。行信(生没年不詳)は、荒廃していた斑鳩宮の地に、東院伽藍を建立したと伝える。

の強そうな風貌の威厳ある姿が写実的に表現されています。

2歳の太子が釈迦の入滅の日に東を向いて合掌し、「南無仏」と唱える様子を表現している。14世紀初め頃に制作されたものとみられ、当初の彩色が残るなど保存状態が良いです。

CTスキャンで調べたところ、

合掌する手の内部に仏舎利になぞらえたとみられる数個の鉱物、頭部には、木製の五輪塔や折られた文書など、

体部には約20巻の巻物などが納められており、

制作の趣旨や経緯、願文や、経典の可能性があるそうです。

聖徳太子立像 (二歳像)

鎌倉時代(14世紀) 奈良法起寺蔵

 

彫刻では珍しい若き太子様の垂髪姿です

また

CTスキャンで内部がら菩薩半跏像と

仏舎利になぞられたと思われる

鉱物が発見されました。

重要文化財

聖徳太子立像 (孝養像)
鎌倉時代・13世紀 奈良・法隆寺蔵

日本最古の弥勒如来像と言われていましたが

CTスキャンにより後頭部、左体側を含む体部前面材、左手が

制作当初の部材と判明しました。

如来立像

飛鳥時代(7世紀) 奈良・法起寺

7世紀後半に建てられた世界最古の木造建築である

法隆寺金堂の御本尊の釈迦如来像ら諸仏を守り、
須弥壇の四角に安置されている最古の四天王像です!
力強く邪気を踏む他の同種像と違い、
直立して表情も静かで威厳のある雰囲気です。

国宝 四天王立像 広目天(左)多聞天(右)

国宝 薬師如来坐像

やくしにょらいざぞう

飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺蔵

金堂東の間のご本尊で

口もとに微笑みを浮かべた神秘的な顔立ちや、文様的な裳懸座(もかけざ)などに飛鳥時代の様式美を示す名品である。

光背背面の銘文によれば、丁卯(ひのとう)年(607)にこの薬師如来像を造立したとある。

しかし、癸未(みずのとひつじ)年(623)に完成した、金堂中の間の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)に比べ、鋳造技術などに進歩がみられるため、制作年代は釈迦三尊像よりも後だと考えられている。

飛鳥時代を代表する仏像の一つだが謎も多いそうです。

厨子の中にある阿弥陀三尊像を別々に展示しております。
国宝
伝橘夫人念持仏厨子(でんたちばなぶにんねんじぶつずし)
飛鳥時代・7~8世紀 奈良・法隆寺蔵

尊敬する弘法大師空海様が伝教された

孔雀明王像を拝見できたことも幸いです。

重要文化財 孔雀明王像 鎌倉時代(13世紀)

実物の百済観音像は
2018年に法隆寺の大宝蔵で拝観させて頂きました
1階のガイダンルームでは
文化財を最新のテクノロジーで写し取った
高精細な3DCGで秘仏、救世観音や、古代彫刻の傑作、百済観音の美しい姿を実物大で鑑賞できます。

イヤホンガイドは杏さんの声で、
聖徳太子1400年御聖諱法要(ごしょうきほうよう)
紹介動画も楽しめます。
貴重な宝物を堪能させて頂き大満足♪
敷地内であんかけ焼きそばをさくっと頂き小休止したら
続いて法隆寺宝物館へ走る人
近代的な建物は黒門の真裏にたたずんでおります!
ここでは第二次大戦後、国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示していますが正倉院宝物よりも一時代古い7世紀(飛鳥時代から奈良時代前期)の宝物が数多く含まれていることが大きな特色です!
企画展
国宝 聖徳太子絵伝 は法隆寺の障子絵で
1069年絵師により聖徳太子の生涯が描かれています。
傷みが激しいのですが
絵を拡大し大型の8Kモニターで表情も確認できます!
画像の一部を紹介します!
馬小屋の前で誕生する
5才で初の女性天皇の即位を予言
11歳、雲のように空に浮かぶ

 

16才 祈りで軍政を撃退
27才  愛馬の黒駒で空を飛び富士山へ
33才 17条憲法を制定
37才幽体離脱
36才小野妹子を遣隋使として派遣
50才 自らの死を予言し逝去
以上
大きな10枚の絵の中の太子様の偉業の1部でした!
閉館まで残り1時間なのでこの先は駆け足です。
東洋館の顔である中国の獅子像は、
日本で最初に合板を生産した新田愛祐氏から寄贈された作品です。

地下本展では、さまざまなイスラーム王朝が生み出した作品を、

時代や地域、テーマを切り口として展示されていました。
今まであまり知られていなかったイスラームの文化とムスリムの世界を楽しめます。

1階中国石仏展示の一部です
中国陶器の先にあった
始めてみる作風に魅せられて写真に納めました
もっと早く入場すれば良かったです
久しぶりな本館の仏像群も見れず5時になってしまいました
ライオンが鎮座する資料館もおしゃれ~
帰路
2016年に「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献」という名称で、
日本における20世紀の建築物として初めて世界文化遺産登録された西洋美術館は改修工事中で、
公園口駅前の東京会館がリニューアルしており
上野駅が綺麗になっていて驚きました!
スカイツリーわかりますか?
ちなみに上野公園のマンホールは桜でしたチョキウインクチョキ
本日は国立博物館が近くにある喜びを改めて感じた吉日となりました♥️
ABOUT ME
まり
生涯現役! 余暇を楽しみ、 お客様に喜んでいただけるように 知識と技術の向上に取り組んでいく所存です!

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