休日 関東編

戦国時代の終焉 in小田原城

こんにちはフリマをしてる
川崎市百合ヶ丘の美容室ブランカのまりです

 


美容室ランキング

 

メルカリは出品が多いけれど6月に配送料金を値上げしてから
手数料も安い、ペイペイの出品も増えてきた↗
買う側も週末に5%オフクーポンが発行されるのでお得感があるようで
(私はですが)売れるのはほぼペイペイ

 

数週間前ですが
いつでも行けると先延ばしにしていた小田原城に行って来ました♪

小田急線で往復切符1364円
車内、秦野あたりから丹沢山塊が見え渋沢から新松田間の景色が好き🚆

駅ビル2階の富士屋ホテル・フュージョンダイニングFで早めのランチ🥐
魚は鯛・珍しくお腹が空いていないので丁度良い

東口駅構内に地元 二宮尊徳(金次郎)さんの銅像

右に目をやると小田原城が見えます~わかりやすい!

駅直結ミナカ小田原
14階にある足湯に行く時間ありませんでした👣

お城通りの突き当りを左に進みます(右側は北入口)

くるわ 曲輪
城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称で郭とも書く)

現在地は助かるわ~ 弁財天通り 

埋められた天然の蓮池と小田原藩士に利用された弁財天曲輪跡

早々に小田原市のマンホール

グレーチングも可愛い

東堀 菖蒲園の天守閣の下あたりに関東大震災で崩れた石垣が残っています

いよいよ
豊臣軍が勝ち天下統一を果たし、戦国時代が終わり
日本の歴史が大きく動いた場所である
小田原城内に入ります

常盤木門 1971年再建
本丸の正門にあたり重要拠点だったので大きく賢に造られました

内部はけっこうな隙間

SAMURAI館
常盤木門・櫓門の2階は甲冑等の展示を天守閣入場とセットで610円見る事ができます

写真が下手ですが💧個人所有の品が多く貴重です

↑左は安土桃山時代 右は江戸時代

室町時代

プロジェクションマッピング渋くていい感じ~
動画はしょっております

 

最期は花となります

 

北条5代
1500年頃、早雲氏が大森氏を退け伊豆韮山(終生居城)から入城
氏綱氏が本城とし、上方から人材を招き産業を興して関東支配の礎を築き
氏康氏の頃には城下町の形態も整えられ関東の中心として繁栄し
氏政・氏直氏の頃に町全体を取り囲む総溝を築きましたが
豊臣軍20万に囲まれ約
100日に及ぶ籠城の後の1590年開城

 

7本松の最後の1本は樹齢400年

徳川将軍家とゆかり
天守閣前の広場にあった本丸には専用の御殿がありました

現在トイレの辺りには
北の城米曲輪に通じた裏門として鉄門がありました
石垣の一部を空けて造られた埋門形式を歩いてみたい~

小田原は野生の猿被害で有名ですが、ニホンザルが飼育されています
猿は目が合うだけで怒るのに 近い💧暑さもあるかな?元気がありません
🐵

天守閣ランキング
1位 大阪41.5M 2位 名古屋36.1M 3位 島原 33M 4位 熊本32.5M
5位 姫路31.5M 6位 小倉28.7M 小田原城は7位の27.2Mです

波乱の天守閣は4度も建てられています
①1454年頃 望楼型で築城(向いの八幡山)
②1633年 層塔型の総石垣城
③1705年 再興(1703年 元禄地震倒壊)
1870年 廃城により解体
④1960年に復興
2016年大改修

徳川ゆかり?
隅脇石の綺麗なカーブは算木積で

全体には隙間があり石もやや不揃いな
徳川幕府が再築した現在の大阪城の石垣の一部に似ています

署名しましたよ🖊

城内1階は常設展示室・江戸時代の小田原城

古地図

小田原城三重天守引図
1820年頃の原図は失われており、藤岡道夫氏の模写

歴代城主
1417年 大森氏
1496年 北条5代
1590年 初代大久保忠世氏(家康系)
1615年 阿部氏
1632年 稲葉氏
1706年 5代大久保忠朝氏

 

江戸時代の城内(総溝内)
弁天池もあります

将軍家ゆかり
北入口近くにある御用米曲輪には将軍家の家紋三ツ葉葵紋の瓦が出土されており

幕府の米等を納める蔵もありました

2階常設展示室 戦国時代の小田原城
3階企画展示室
4階企画展示室↓

1958年頃 観覧車があったそう♪

5階常設展示室 小田原城天守再現

天守型厨子

中央の将軍柱は小田原市の樹齢300年の杉が使われました

摩利支天 武家の守護神
猪の上に乗る三面六臂(3つの顔と6本の腕)の立像
藩主大久保忠朝氏時世1686年の仏像

展望デッキ


石垣山一夜城

山頂の林の中で80日程掛け築城し完成すると一夜のうちに周囲の樹木を切り倒し
小田原軍を驚愕させたが実際は塀や櫓の骨組みに白紙を貼っただけの城でした

真鶴

三浦半島

もうひとつの初代小田原城方面

地上へおりました

大日一尊種板碑
1400年前半昨で箱根火山の溶岩石と考えられており
城の石垣に転用された時もあるそうです

中央上部 梵字 バン (金剛界大日如来種子)
  下部 結衆による造立で法界衆生平等利益の供養が
  毎月15日に行われた文が彫られています

小峰曲輪北堀
曲輪内に神社境内があり
堀が残っており実際は更に深いとのこと

御社殿

手水舎

神池

~二宮尊徳さん生涯~
やや裕福な農家の長男であったが

酒匂川の堤が決壊を機に家も田畑もだめになり
14才の頃1800年に父親が他界、続けて母を亡くして
常に創意工夫をしながら身を粉にして働き続けたそうです
やがて実家を再興することができ同時に小田原で武家奉公人として
報酬を受け取らずに服部家の負債や生活にかかわる諸事を処理し治めることを成功させると
依頼が続き、多くの復興再建に尽力していったそうです

同じ像が全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが
戦時中の供出に遇いこの一体だけが残るだけだそうです

歩いて本を読むのは危ない
子どもが働く姿を勧めることはできない
歩きスマホを連想させる
等々

現在は学校から像が撤去されているのが現実です

小田原in続きは次回に ˘•ω•˘/

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まり
生涯現役! 余暇を楽しみ、 お客様に喜んでいただけるように 知識と技術の向上に取り組んでいく所存です!

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